分けなければならな

肝に銘じたこと。
それは通勤時間帯に電車に乗らないこと。
わたしは既にリタイアしている高齢者だから、そういう要望を持ってもケシカランことはないと思う。
時間帯をずらすと良い。
これはベビー連れのママたちにも言える。
通勤の皆さんの神経のブレ方、ストレスは相当なものだと想像する。
なので、その波の中、渦の中に、自分の身を置かないのが防衛策服務式住宅

朝夕を避けるなら、スケジュールを2日に分けなければならない。
1日で済まそうとするから、朝と夕方に移動時間が押しやられる。
朝ではなく午前遅めに出て、夕方前に帰る。
一つしか用事は出来ないが、まあ仕方ない。
ただし、日中は暑い。
全て良いようにはならない。

心身の事情にスケジュールを合わせることにする。
スケジュールに心身は合わせない。
無理はしない。
高齢者の特権である紀念品

あれもこれも、ついでに一気にするのが、めんどくさがりのわたし流なのだが、言ってられない。
めんどくさくても、行動を分割する。
身体を優先する。
行動を身体に合わせると、こころも落ち着く。
無理がきかないなら、無理をしない。
それでよい。
若くないって、若さのノリで突っ走らない(突っ走れない)から、自由に自分で行動を設定できていいなあ。

自分が快適な状況を自分で作る。
電車に乗って、周りが学生さんや若い人ばかりに囲まれて小さくなったり、街ゆく人々の中でどうも自分の居場所はここではないと感じたりすると、自分が落ち着く場所を新たに探す。
やはり同世代が集まる場所のほうが安らげる。
と言っても病院の待合室ではない。

人に合わせるのは疲れる。
自分だけの快適の中に自分を置く。
他人に理解されなくてもよい。

自分が感じる「快適」も、時の移ろいによって変化する。
快適と感じる感覚に身を委ねると、幸福感に浸れる。
これは人それぞれ違うと思う。
「快適」に巡り合えると、すごく楽しい。

それと同様に「感動」というものがある。
最近、よく感動する。
すぐに涙腺がゆるむ、安物の涙。
でも、涙は癒し効果があるらしいから、良いのだ日本移居