サンプルのようによくわ

とりあえず、写真を直近撮った中から選んでブログに設定。

さて。
ふと、10年後のことを想像する。
1番下(5番目)孫が中学に上がった頃は、ばあちゃんは完全にご用意済みだろう。
さらにその10年後までの、ばあちゃんは、容易に想像できる。
母や姑、祖母や義理の祖母(姑の姑)を見ていると、歳の取り方や、家族との関わり方が等身大サンプルのようによくわかる。
65〜75歳、75〜85歳。
さらにこれに85〜95歳が加わる。
そしてまたまた95歳からのコースもある。(母が歴代実績サンプル、更新中)
とりあえずは、ここ10年でシュミレーションしてみよう。
時代背景の違いも大きく影響しているが。

以下は、わたしの身近な母たちの様子を元にしているので、データ平均値でもなんでもなく、全然違う人もいる(はず)。

65〜75歳。
新聞の記事では事件や事故で年齢と氏名が記されると、「老女」という表現になる。
本人には老人という自覚が全くない、前期高齢者群。
孫もまだ成長期。
孫や子供たちと積極的に関わる。
子供や孫たちにとっては、元気なおばあちゃん。
外部イベントに一緒に参加したり、美味しいものを作ってくれたり、お小遣いをくれる。

75〜85歳。
少しずつ心身共に老人の自覚が深まる。
孫たちも離れ、それと共に子供たちとも距離が生まれる。
が、85歳は本格的老人の入り口。
転げ落ちると、速い。
病気になると、そのあたりで他界することもある。
病気が長引くこともある。

おばあちゃんたちは歳を取り、やがて亡くなるプロセスをわたしは家族として共にしてきた。
いくつかの実例を肌で感じてきた。
その中で最も身近だったのは、姑。
特に、孫との濃厚な関わり方が参考になった。
徐々に成長していく孫との距離感。
嬉々として孫たちに尽くし接していた姑も、段々体力的に疲れて来る。
孫たちを饗応する機会が激減し、内心、ほっとしていると思う。
体力の衰えと共に気力が衰えるが、ぜひ、こうしたい、という要望や理想はなかなかなくならない。
更に老いていく姑、その軌跡をなぞるかのように老いていくわたし。
重なる。
モーパッサンの「女の一生」じゃないけれど。(若い頃、読んだが、どんな内容だった??忘れている、、、、また読もう。ひとつ、楽しみが増えた)

昭和、平成、令和と生きたおばあちゃん、彼女たち。
実母はわたしが結婚するまでと、その後出産するしばらくの間、姑はわたしが結婚してから、ずっと。
夫より濃厚に関わってきた。
毎日の機微や、こころのヒダ、人生への付き合い方は、おばあちゃんたちのほうが、わたしには、ずしっと感じるものがある。