自分が書いたものを読むと

過去ブログ記事、どなたかが引っ張り出して読まれたようだ。
ふむふむ、こんなタイトル、すっかり忘れたわ、と、自分が書いたものを読むと面白い英國買樓

昔の記事は、キレが良い。
今の記事は、どんより。
脳が変化してきているのだろう。

第一、わたしは読書をしないので、文章のインプットがない。
ネタの仕入れを怠っている。
自分のストックの中からのアウトプットのみ。
手持ちをごそごそ。
しかし、、、資源も尽きる。
新しく仕入れたら良いのだが、めんどくさい。
理解するのに時間がかかったり、感動しなかったり、すぐ忘れたり。
結局、いくらレシピ本を読み漁っても、いつも作る料理は同じということになる。
だが、ブログに関しては、インスタントコーヒーや、カップ麺は抵抗がある。
妙なこだわりがある。

文章はめんどうだが、映像と音は、すんなり。
脳が、きゃあきゃあ喜んだり、ピリピリ刺激を受けたりする。
手っ取り早い入手ソースは、テレビ。
わたしは、NHKと歌番組が好き天幕 帳篷
NHKではない例外としては、民放の林修先生のインタビュー番組にはすごく聞き入る。
直近の日曜日に、秋元康氏が出ていたが、とても良いことを言っていた。
番組最後の総論としてのまとめがCMの後に最後の最後にあった。
彼の人生哲学の結論は、もったいぶった演出の割にはインパクトが少なかったが(なぜなら、わたしの信条と同じだったから)テレビ制作編集者のまとめ方に問題があると思った。

それと、話を雛壇で聞いている体裁になっているゲストたちが、すこぶる良くない。
あんなに素晴らしい深いことを言っているのに彼ら20代の若者の経験値では、脳の素通りが見え見え。
ある程度、経験してからこそ言える名言も、あんな薄っぺらい若いメンバーの前では台無しだ。
もったいない。というか、不快である。
レストランで豪華なメニューをいっぱい注文して、全然食べずに残されたテーブルのように感じる。
と、たんなる一個人の感想。
ぼやき老人になっている、、、。

しなしながら、秋元康さん、なかなか足が地面にしっかり着いた人だ。
自分は芸術クリエイターではなく、職人だそうな。
具体的な人物に合わせて着色するだけで、ゼロからは作れないと。
ただ、ほんの1μでも個性や才能を見出したら、それに合った引き出し方をする。
料理人のようなものか同业存单