ら漏れてリュックから取り出

若い学生さんに囲まれた電車内。
皆さん、わたしの子供より、孫に近い年齢。
わあ、わたし、みんなのおばあちゃん世代新屋清潔。 

乗った電車が通勤、通学時間なもので、そういうことになる。
家を出て駅に向かうバスに乗った時から場違い感ありあり。
日頃の活動時間、活動場所、棲息場所が違う。

満員電車内ではリュックを背中から前に掛け替えて、場違い感は更に際立つ。
いいの、いいの、行き先も目的も違うから除甲醛推薦

出かける前にリュックを持ってみると、やたら重くなったため、荷物を減らした。
だが、肝心の、昨日から凍らしておいた水入りペットボトルを入れるのを忘れ、玄関を出たところで思い出し、ホームセキュリティを掛け直した。

大丈夫かなあ?
もしもの時の、緊急おばあさんグッズ(下着だの衛生用品だのなんだのかんだの)を優先順序から漏れてリュックから取り出して置いてきたので、若干気になる。
体調管理は重要。
健康に心配がない今しか行けないと実感する。
遠方の、長?い、ウォーキングの会。
たぶん、わたしが一番の若手だと想像する。

おっと、降りる駅を間違えないようにしないと。
ブログ更新は、ほどほどに搬屋公司推介

では、行ってきま?す!

を言われたことがある

わたしの何の役にも立たない独り言にお付き合いいただき、ありがとうございます。
お役立ち生情報もなければ、ナビゲートもなければ、解説もなし去暗瘡印
あるのは個人的解釈と一方的な感想のみ。
これで面白いわけがない。
まあそれはそれとして。

ちなみに、わたしの売りは毒舌。
斬られて快感を味わう人もいる。
ひと(他人)のことアルアルで、自分のこととは思っていないようだが、実際のところは、斬られているのは当人も含まれていることが多々ある。
わたしは自分を斬るついでに、他人ごとごっそり斬ってしまうことがあるので、言葉には注意しなければならない。
言葉に細心の注意を払った途端に、切れ味の悪い、誰も傷つけない代わり、何の印象にも残らない、つまらないブログになる。
みんな幸せで良かったね、というスタンスのブログは、書いていてこころの底から満足しているかというと、そうでもない。
ほんとは言いたいけれど、自分では言えないことを代わりにわたしがズバッと言うと、スッキリして爽快な気分になる、と他のSNS日記で感想を言われたことがあるMedilase 脫毛
そのSNS日記は閲覧数は少なくないのは、そういった毒舌のせいだと思われる。

最近、わたしは、人のこと言えないよね、という自覚があり、あまり毒を吐けない。
飲み込んでしまう。
だから面白くない。
めちゃくちゃキツイことや失礼なことをおもいっきり思っているが、わたしのどの口が言う?と、さすがに胸の内を打ち明けるのは躊躇われる。
で、言わない。
で、中途半端になる。
最初はとんがっていて覇気があったのに、幸せになってしまって面白くなくなった女芸人みたいで、生気がない。
やはり、記事にするには緊張感、張り詰めるものは必要だ。
が、どよ?んとしている。

さて。
今からワンオペで4人の孫たちを、お迎え、お泊まり、明日の朝まで、保育所、小学校へ送り出し任務あり。
ああ、しんど減雙下巴

に制限されるプレッシャ

さて。
いつも趣味関係で顔を合わせる人。
わたしが着ていく洋服を替える毎に、いつもマイナス反応。
その人の機嫌を取って、度々違う服を着ていかないように制限されるプレッシャーを感じて窮屈である輪廓拉提
わたし、なんか、あの人に服のことで迷惑かけた?
お金を出してもらったわけじゃなし、その人から貰った服を全く着ないわけじゃなし(貰ってないし)。
これがいくら、あれはいくら、どこどこで買ってねー、と自慢したわけじゃなし。
服やファッションの蘊蓄(うんちく)を語り出したら止まらないわけじゃなし。
人の服をけなすわけでもなし。
日頃、ワリカンにもせずセコくお金を出し惜しみしているわけでもなし。
 TPOに外れているわけではなし。

自分だけの世界で楽しんでいるのに、外に出ると皆さんから見える。
それを避けるには、家の中だけで色々な服を着れば良いのか。

マイナス反応は、色んな服に替えること、たくさん服を持っていることに限ってである。
似合う似合わない、良い悪い、快適そう窮屈そう、そんな質やデザインに関してではない抽濕機推薦
菅田将暉がヘアスタイルをころころ替える度に、ああまた?というのと共通するものがある?
ヘアスタイルの良し悪しではなく、その変化の頻度。

しかし、、、
今までの人生の中で、必ずそういう人はいる。
赤の他人の見ず知らずの人にも言われたことがある。
よほど気に入らないのだろう。
しかし、口に出さずにはおれないのか。ほっといておけないか。
本人はさして何も思わず、思ったまま口に出るのだろうが、言われる側は、本当に鬱陶しい。不快、極まりない。
痰が喉に詰まって、吐き出さずにはいられない感じだとしても、道路に吐き出す人、よほど重病で一大事でもない限り、吐き出される側の気持ちを察する余裕はないのか。

そりゃあ、裸で出歩くのは風邪を引くし、犯罪だし、そんなアホなことをしたいとは全く思わないReenex

自分軸で行動したいので、馬耳東風で行く。
あなたのために生きているのではなく、わたしは自分のために生きている。

自分が書いたものを読むと

過去ブログ記事、どなたかが引っ張り出して読まれたようだ。
ふむふむ、こんなタイトル、すっかり忘れたわ、と、自分が書いたものを読むと面白い英國買樓

昔の記事は、キレが良い。
今の記事は、どんより。
脳が変化してきているのだろう。

第一、わたしは読書をしないので、文章のインプットがない。
ネタの仕入れを怠っている。
自分のストックの中からのアウトプットのみ。
手持ちをごそごそ。
しかし、、、資源も尽きる。
新しく仕入れたら良いのだが、めんどくさい。
理解するのに時間がかかったり、感動しなかったり、すぐ忘れたり。
結局、いくらレシピ本を読み漁っても、いつも作る料理は同じということになる。
だが、ブログに関しては、インスタントコーヒーや、カップ麺は抵抗がある。
妙なこだわりがある。

文章はめんどうだが、映像と音は、すんなり。
脳が、きゃあきゃあ喜んだり、ピリピリ刺激を受けたりする。
手っ取り早い入手ソースは、テレビ。
わたしは、NHKと歌番組が好き天幕 帳篷
NHKではない例外としては、民放の林修先生のインタビュー番組にはすごく聞き入る。
直近の日曜日に、秋元康氏が出ていたが、とても良いことを言っていた。
番組最後の総論としてのまとめがCMの後に最後の最後にあった。
彼の人生哲学の結論は、もったいぶった演出の割にはインパクトが少なかったが(なぜなら、わたしの信条と同じだったから)テレビ制作編集者のまとめ方に問題があると思った。

それと、話を雛壇で聞いている体裁になっているゲストたちが、すこぶる良くない。
あんなに素晴らしい深いことを言っているのに彼ら20代の若者の経験値では、脳の素通りが見え見え。
ある程度、経験してからこそ言える名言も、あんな薄っぺらい若いメンバーの前では台無しだ。
もったいない。というか、不快である。
レストランで豪華なメニューをいっぱい注文して、全然食べずに残されたテーブルのように感じる。
と、たんなる一個人の感想。
ぼやき老人になっている、、、。

しなしながら、秋元康さん、なかなか足が地面にしっかり着いた人だ。
自分は芸術クリエイターではなく、職人だそうな。
具体的な人物に合わせて着色するだけで、ゼロからは作れないと。
ただ、ほんの1μでも個性や才能を見出したら、それに合った引き出し方をする。
料理人のようなものか同业存单

な心境は人にはわからない

以下は、あくまでも「わたし」に関して。
読んで欲しくて書くのではない。
書いた結果、それが読まれるのは悪くない。
読んで読んで。わたし、わたし、とアピールしたいわけではない。
さらに、複雑めんどくさいのは、書いたくせに読まれたくない、という場合もある。
なら、書いてもアップするなよ、ということになり、その摩訶不思議な心境は人にはわからないと思うが。
深情、情熱の発露の結果が、文章の山。
ダラダラでも良い。

書いて封印しているものもある。
実は隠し子のように、若かりし日に創設した別ブログがなんと、あと2つもあるbikini脫毛
ほぼほぼ閲覧数は限りなくゼロに近い幽霊ブログなのだが。(誇張ではなく)
わたしがこの世を去る前に、指が動かなくなる前に、目が見えなくなる前に、消滅させておかねば。
ネット宇宙のゴミは早めに撤去すべきなのだが、、、。
パスワード的なものを探すのが面倒。
そのうち、そのうち、と、放置したまま。
ひょっとすると、また書き溜め用にキープしておくかも知れない。(が、時間的に、それはない)

何しろ、脳がおしゃべりなのだ。
ピーチクパーチクうるさくてしかたない。
これは次から次へと脳に浮かんだまま脳外に出してお掃除しないと、脳がパンクしてしまう。
ゴミ屋敷化してしまう。
だが、ゴミは行政の決めた時間、場所に出さないと、不法投棄は罪になる。
そもそもわたしは、そんなヘイトスピーチ的なものは、アウトプットしない常識ある社会人である雪櫃唔凍
というか、自分自身が不快になる。
暴力は嫌い。
アントニオ猪木は良い人だったとしても、わたしはプロレスやボクシングは好きになれない。
女の子的なものが好き。
お花だとか、お人形だとか、布、服、光り物、調度品、工芸品、綺麗な優美なものが好き。
美術(建造物、絵画含む)、芸術(音楽、ダンス含む)、映画も好き。
キレのある斬新なもの(テーマ、題材、切り口、空間、建造物)も刺激を受ける。
最近は、「自然」も好き。「大自然」なら大感動。
美しい自然の中に身を投じると幸福感に満たされる。
なので、プロレスとかは無縁なのだ。

とかとか、などなど、、、読む人のことなど全く眼中にないことを延々と脳内から流れるままに綴っている。
ではあるものの、自分が気持ちいいものだけを摘んでアウトプットしている。
とは言え、その日の気分、ノリによっては、マイナス感情、鬱憤を吐き出して、ストレスを発散している。
何かを通して、発散するプロセスは、プロセスやボクシングファンと共通しているかも知れない。

わたしの場合、脳内にある「不安事項」は、脳内にだけ留めることが多い。
書きたくなるような「不安事項」は、書く場合もあるRMB internationalization
選択には法則やルールはなく、気分次第。
常に自分を冷静に見つめている自分と同時進行して生きている。
子供の時からである。

言語を自覚したのは、わたしが幼稚園ぐらいの時。
思ったことが、音や文字として現れずに脳内にどんどん流れるように出現する。
その時は、脳内だとは気づかず、知らず、もわっとした空中のような空気のようなものから現れた。
この感覚は、2番目孫が4歳ぐらい?の頃に、わたしに話してくれたことと似ている。
彼は、「K(自分のこと=僕)は、思っているけど言ってないだけ」と拙い言葉で口にしたが、わたしは彼の感覚を理解した。
言語とこうやって共に歩むんだ、成長していくのだ。
思うこと、考えること、感じること、それをアウトプットする人と、しない人、また、したくない人、出来ない人がいる。
アウトプットの方法も、いろんな手段、方法がある。
表情、動作、所作、行動。
行動にも、その場の瞬間的な行動と、中期、長期的な行動がある。
生理的、抑圧的、能動的、自発的、強制的、思考的、計画的、、、
暴力や人助け、芸術、、、幅広い。
また、意識した場合と無意識の場合がある。

メリットも得るものも

こりゃマズイと思うと飛び退く。
マイナスのものに巻き込まれても、何のメリットも得るものもない。
関わりを避ける。
そのあたり、わたしは逃げ足が結構速い。
防衛本能が無意識に働くのだろう船運英國

独特のネチっこさ、執念深さ、底なしのスゴい吸引力を感じる。
引っ張られる力に抵抗して、その人物から必死で逃げる。
そのためには、その場を離れること、関わりを断つことが大事。
追っかけてきたとしても、相手にしない。
スルーを徹底する。

そんな根性無しのスルー人間には、相手にしてみると、手応えもなく、つまらなく面白くないし、取っ掛かりもないので、いつまでも追ってこない。
スルーの仕方によっては相手の逆鱗に触れることもあるので要注意。
へんに刺激してはいけない。
一瞬にして透明人間になって自分を姿とともに外側も中側も消す。
あれ?どこ行った?と、探されないように、あくまでも相手を刺激せず、消えていくのがよいと思う倫敦 樓價
相手と同じ土俵に立たないこと。
仕返ししたり復讐したりしようなんて絶対に思わないこと。
株やファンドでいうところの、損切りをする。
赤字店舗の撤退のようなもの。

そうやって、自分に害があるとみなすと、わたしは逃げる。
モタモタして逃げ遅れたりすると大変な痛手を被る。


ちなみに。
ブログを通してお知り合いになった方々。
わたしは社交性がないので、人数はかなり少ないが、大切な人々となっている。
15年の間に本当に数えるほど。
かつてやり取りがあった方でも、その後、全く音信不通という人もいる。
いきなり長い空白をぽーんと飛ばして、コメントをくださる方もいる。
そういうほのぼのした暖かい繋がりとはまた別に、そうではない事故ニアミス接触に近い、偶然のその場限りの関わりがある人もいる。

今は楽しく落ち着いたブログ生活を送っている。
アピールチャンスで見かけたブロガーさんのようなことはない。
トータルすると、ブログにかなりの情熱や時間はかけるものの、洗顔や歯磨き程度の、日常のほぼ習慣みたいな軽いものになっている。
が、中学生の時から日記は書き続けていて、息抜きとストレス解消になっている。

わたしの大切な話し相手は、自分なのだ。
念仏や写経のようなもので、自分のこころを鎮め、落ち着ける精神状態を生み出している。
そして、ぷぷっと笑ったりして、わたしを笑わせる、わたし。
一人芝居か。ヒマジン。
が、人に迷惑かけずに、自分が楽しければそれでよし。
冒頭にも書いたように、それを読んでくださる方がいるのであれば、十二分すぎる黃金 簽證

感じる瞬間が何度か

わたしは、最近、「この人に、嫌われている」とハッキリ感じる瞬間が何度かある。
何故嫌われるのか、だいたい見当がついている。
ブリっコだからだ通渠

ブリブリブリ。
こんな年になってもブリっコだなんて、笑える。
嫌われる理由は、推測、憶測だが。

ブリブリで、見る人が見るとすぐ見抜ける、嫌味な女性なんだろう。
今の世の中の風潮の逆を行くタイプ。
かといって、逆風にめげているわけではない。
わたしは昔のタイプなのだ。
良いとこ取りをして、何食わぬ顔で利用している。
だから同性には絶対に嫌われる。
魂胆見え見えブリッコの同性ほど、イヤなものはない。
まあしかたない。
ブリッコが染み付いている。
ブリッコで今日まで生き延びてきた。

女子枠でポイントアップ、かさ上げ。
能力を補うには、それしかないから。
ああ、やだやだ。
嫌われるけれど、それがわたしの生きる道。
今にペシャンコになることだろう。
でも女子枠のチャージがある。

さて、さて。
ブリブリブリッコ、女子枠とは。

あたし、デキなぁ?い、だって、ひ弱い、か弱い女子だからぁ?
こんな女子がいるせいで、デキる女子がどれだけ足を引っ張られて泣かされたことか。
なかには、命を張って抗議した女性もいる。

にもかかわらず、、、
この21世紀の時代に。
何を寝ぼけたことを言っている?
わたしCEF 課程

だって、できないんだもぉ?ん、、、
しくしく、、、
(ちょっと薄目を開けて様子を見る)

いやはや、こんな自分がよくイヤにならないものだ。
だって、周りが甘やかすからぁ?

ぞぞぞ、キモチワルっ!

甘やかしてくれる場所にしか近寄らず、不戦勝。
そうこうしているうちに、高齢優待枠が適用されてきた。
今度ばかりは、今までの反省を踏まえて、本当に困っている人、弱っている人に優先的に援助を譲り、高齢枠に対しては真摯に真面目に取り組んでいる(つもり)。
できるだけ若い人の足を引っ張らないように。
本当に助けが必要な人に、手を差し伸べるマンパワーや財源、余力を確保するために。
そのせいかどうかわからないが、わたしに選択肢や余裕がなくなり、けっこう辛い思いもしている。
自分自身に逃げ道がない。
自分でやれば出来ることは、やらなくてはならない。
当たり前なんだけど。
「出来ない」とあっさり放棄する前に、出来る努力を自分がしなければならない。
どうしても出来ないことだけ、助けを求める。
あるいは、出来ないことは放棄する、手を離すMeeting room Rental